米国の高級品を扱う百貨店ニーマン・マーカス(Nieman Marcus)が新型コロナウイルスの影響を受けて5月7日に連邦破産法の適用を申請しました。
ハワイ旅行に行ったことのある人はホノルルのアラモアナにあるニーマン・マーカス ハワイの店舗を知っているかもしれません。
2019年3月にニューヨークのマンハッタンに念願の進出を果たしたばかりのニーマン・マーカスはどんな百貨店だったのでしょう?
その110余年の歴史を紹介します。
ニーマン・マーカスの創業
ニーマン・マーカスはマーカス兄妹と妹の夫ニーマンがジョージア州アトランタで1905年創業のセールスプロモーション会社を25,000ドルで売却しました。
その資金をもとに1907年テキサス州ダラスでニーマン・マーカス1号店を立ち上げました。
創始者はハーバード・マーカス・シニア、妹のキャリー・マーカス・ニーマン、キャリーの夫のアル・ニーマンの3人です。
ダラスの人たちにニーマン・マーカスにしかない最新ファッションで変身してもらいたいという意気込みで、当時としては斬新かつ高いクオリティの商品を取り揃え、最高の顧客サービスを提供しました。
ファミリービジネスで成長
1926年にマーカス家がアル・ニーマンの株を買い取り、家族経営時代が始まりました。
きっかけはキャリーとアル・ニーマンの離婚です。
その後、ハーバードの息子たち3人が次々とニーマン・マーカスに入社し、ファミリービジネスが成長していきました。
ハーバード・マーカスの経営哲学は、
「お客様にとって良い買い物でなければ意味がない」
「単に商品を売るのではなく、“満足”を売るのだ」
というものです。
これは家族経営のもといっそう徹底され、ゆるぎない経営理念となっていきました。
戦後のニーマン・マーカス
1907年創業のニーマン・マーカスは第二次世界大戦後、代替わりを迎えます。
戦後も成長を続けていた1950年、創業者のハーバード・マーカス・シニアが他界しました。
後を継いだ二代目がハーバードの長男、スタンレー・マーカスです。
スタンレーはすでに1936年から社長として活躍しており、会長兼CEOとしていっそう腕を振るう地位につきました。
スタンレーはこれまでローカル色の強かったニーマン・マーカスを積極的な販売促進活動の推進により全米レベルの高級店に押し上げました。
経営理念に沿った顧客サービスのみならず、社員や取引先との良好な信頼関係を構築していきました。
親しみをもってミスター・スタンレーという愛称で呼ばれたスタンレーは、1969年までその職位を全うし続けました。
その後ニーマン・マーカスは、カーター・ハウレー・ヘール・ストアズに売却されました。
スタンレーはその後、コンサルタントを務めたり、ニーマン・マーカスの歴史を描いた著書を出したりして、2002年に惜しまれつつ世を去りました。
各地の店舗に展開するニーマン・マーカス・アートコレクションは4500点もの美術品が展示されており、これの創設を推進したのもスタンレーです。
斬新な経営戦略でさらに発展
現在では買い物の金額に応じたポイントを付与して、そのポイント数に応じたギフト券や記念品を顧客に提供するシステムは珍しくありません。
このシステムを最初に始めたのがニーマン・マーカスです。
1984年に小売業界で初めて「インサークル・プログラム」として導入し、世界中で注目されました。
世界中で同様のサービスがある中で、ニーマン・マーカスのインサークル・プログラムは最高の顧客サービスとなっています。
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ニーマン・マーカスの現在
ニーマン・マーカスは2005年に投資会社に売却されました。
現在(2020年)のCEOはジェフリー・バン・レムドンクです。
全米に43店舗を展開し最高級ファッション百貨店として世界中に根強いファンを広げてきたたニーマン・マーカスですが、この度の新型コロナウイルスの直撃で破産となってしまったのです。
これだけの大きい規模のストアなので業績不振に見舞われても何とか持ちこたえられそうですが、昨今のニーマン・マーカスは経営基盤を弱体化させる運営を続けていました。
LBO負債の支払い利息が膨大になり経営難に陥っていたのです。
そこに新型コロナにより全店舗休業を余儀なくされ、日々の売り上げが立たなくなった状態になりました。
新型コロナが決定的な追い打ちをかけたといってよさそうです。
このあたりの解析は経営の専門家に任せたいと思います。